大判例

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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)9689号 判決

主文

一  被告東京都は、原告に対し、金五〇五万九七三四円及びこれに対する昭和五五年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告東京都に生じた費用を被告東京都の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告国に生じた費用を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告東京都が金一五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

理由

第一  事件の概要に関する争いのない事実

請求原因1の(一)の事実中、原告が、昭和五一年五月二三日、石川一雄不当逮捕十三周年糾弾狭山中央集会及びその後の集団示威行進に加わり、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号第一鉄鋼ビル南端先車道上を行進してきたこと、原告が右行進の途中からハンドマイクでシュプレヒコールの音頭をとつていたこと、当時、第一中隊が本件梯団の規制に当たつていたこと、青木隊長が原告に対し東京都公安条例に違反する違法行為をしないように警告を繰り返していたこと、青木隊長が検挙命令を発したこと、原告が同ビル入口前歩道上で警察官に事実上取り押さえられ、同日午後四時二五分ないし三〇分ころ逮捕されたこと、同(二)ないし(六)の事実(その後の勾留、起訴、第一審の無罪判決、第一次控訴審の有罪判決、最高裁の破棄差戻し判決及び第二次控訴審の控訴棄却〔無罪〕判決)、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二  警察官の逮捕・捜査行為の違法性について

一  警察官のした被疑者の逮捕及びこれに続く捜査行為は、その理由とされた被疑事実について無罪の判決が言い渡され、その判決が確定したからといつて、直ちに国家賠償法上違法と評価されるものではなく、当該警察官が逮捕等の時点でその被疑事実に係る犯罪の嫌疑もないのにあえて当該被疑者を逮捕するなど、その職務に違反したと認められる場合に初めて国家賠償法上違法な行為と評価されるものである。

二  《証拠略》によれば、原告を現行犯人と認めた理由及び事実の要旨は、「原告を指揮者とする本件梯団が、昭和五一年五月二三日午後四時二〇分過ぎころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号鉄鋼ビル内三菱銀行前路上までの約六〇〇メートルの間、ジグザグ行進を続けたので、大脇小隊長が『正常な行進に移らないと公安条例違反として検挙することになる』旨警告し、道路の左側に原告を移動させようと近づいたところ、原告がいきなり右足で大脇小隊長の左足大腿部付近を蹴り上げたため、公務執行妨害の現行犯人と認め、逮捕しようとした。ところが、原告を含む本件梯団三〇名くらいは、ガードレールを乗り越え歩道上に逃げたので、第一小隊が前後から挟むようにして検挙規制活動に移つたところ、本件梯団及び別のデモ隊の旗持ち四、五名が応援に駆けつけ、一緒になつて第一小隊に対し竹竿で突きかかり、殴る蹴るの暴行を加えてき、同集団の前部中央で原告が同行為を加えているのを現認したので、公務執行妨害の現行犯人と認めた。」とされていることが認められる。

そして、原告に対し、右被疑事実のうち前段の大脇小隊長に対する足蹴りの事実により公訴が提起されたところ、その刑事裁判の過程においては、終始右足蹴りの事実の存否が争われ、最終的には、右足蹴りの事実にそう各警察官らの供述にはにわかに措信できない部分も多く、これらの各証拠で原告を有罪と断定するに足る確信に達することはできず、結局、本件公訴事実はその証明が十分でないことに帰するとして無罪を言い渡した第一審判決が、第二次控訴審判決によつて支持され、確定したものである(以上の事実は当事者間に争いがない。)

このように、本件において、原告が右足で大脇小隊長の左大腿部を蹴り上げたという事実が証拠上認められないというにとどまらず、その事実にそう警察官らの公判廷における各供述等が虚偽であつて、原告の大脇小隊長に対する右暴行の不存在が証拠上積極的に認定されるならば、右警察官らのした原告の現行犯逮捕及び逮捕の現場における差押え、捜索などの捜査行為は、特段の事情のない限り、原告に犯罪の嫌疑がないのに、警察官らにおいてこれを知りつつあえて行つたものというべきであり、国家賠償法上違法な行為であるとの評価を免れないものである。

三  そこで、まず本件逮捕の直前までの経緯について検討する。

前記第一の争いのない事実に、《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められ、この事実経過については、前記各刑事裁判において、検察官並びに被告人である原告とも争いはなかつたことが明らかである。

(一)  昭和五一年五月二三日午後一時三〇分ころから、東京都千代田区内の日比谷公園野外音楽堂において、部落解放同盟中央本部主催による「石川一雄氏不当逮捕十三周年糾弾、狭山完全勝利」をスローガンとする中央集会が開かれたが、同集会参加者は、同日午後三時三〇分ころから右会場を出発し、内幸町--数寄屋橋--鍛冶橋--東京駅八重洲口前を通り、呉服橋を経て常磐橋公園に至る集団示威行進(本件デモ)を行つた。本件デモの参加団体は、部落解放同盟及びその支持団体並びに東京地評傘下組合などで、主催者発表によると参加人員は約一万五〇〇〇名であつた。

(二)  右の集会及び本件デモは、東京都公安委員会の許可を受けたものであつたが、右の許可には、集団示威運動に際し、その行進隊形を五列縦隊とし、蛇行進、渦巻行進、ことさらな駆け足行進など交通秩序をみだす行為をしないことなどの条件が付されていた。

(三)  原告は、東京都交通局に車掌として勤務していたが、いわゆる狭山事件について同事件の被告人石川一雄は無実であり、同被告人を有罪とする裁判は許されないとの信念のもとに、荒川区民の一人として本件デモの参加団体の一つである「同対審」狭山荒川区民共闘会議の梯団(本件梯団)に参加し、前記行進順路に従い集会会場から数寄屋橋交差点手前付近までは、約二〇名の集団の一員として四列縦隊の最前列右側第二列目に位置して行進していたが、数寄屋橋交差点手前付近で、ハンドマイクを用いてシュプレヒコールをしていた岡田行雄と交替し、以後本件梯団の先頭部列外のおおむね右側を歩きながら、ハンドマイクで「部落」「石川」とコールすれば、梯団員において「解放」「奪還」と呼応するなどのシュプレヒコールをしつつ、時には道路中央線付近に及ぶ蛇行進を繰り返すなどして東京都八重洲北口前付近に到達した。

(四)  そして、本件梯団は、同所付近で違法な集団示威運動の規制と交通確保の任に当たつていた第一小隊(大脇小隊長)の規制を受け、同小隊により併進規制をされながら、同日午後四時二二分過ぎころ、同北口の北方に位置する国際観光会館(東京都千代田区丸の内一丁目八番三号所在)前付近に至つた。

四  次に、以上の経過の後、原告が本件公訴事実記載のとおり、大脇小隊長に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴りにする暴行(以下「本件暴行」という。)を加えたか否かについて検討する。

1  警察官らの各証言の要旨

(一) 《証拠略》によれば、まず、本件暴行を受けたとする大脇小隊長の刑事第一審及び第一次控訴審における各供述の要旨は、次のとおりであることが認められる。

(1) 大脇小隊長は、数寄屋橋方面から蛇行進してくる本件デモの梯団を鍛冶橋交差点付近から東京駅八重洲北口方面に四回にわたつて併進規制をしていたところ、前同日午後四時二〇分ころ、八重洲北口付近で反対側の車道に届く程のジグザグ行進をしている三〇名程の本件梯団を発見し、青木隊長の命を受けて本件梯団の規制に当たつたが、本件梯団の先頭部の前方おおむね左側に位置していた原告が、右手を振つて本件梯団の進路の指示をしたり、左手に持つたハンドマイクでシュプレヒコールを行いながら、同北口付近から同丸の内一丁目八番二号所在の第一鉄鋼ビル玄関入口前付近路上に至る間に、本件梯団をして道路中央線に達するまでの蛇行進を二回繰り返させたため、大脇小隊長は、本件梯団の指揮者のリーダー格と思われた原告に対し、「ジグザグ行進はするな。いつまでもそういう行進をしていると公安条例違反で検挙する。道路の左端に沿つた正しい行進に移れ。」と二〇回ぐらい警告した。この間、青木隊長も第二鉄鋼ビル前のタクシー乗り場付近において同趣旨の警告をしていたが、原告は、その警告を無視するのみならず、かえつて反発して本件梯団の先頭部を道路中央の方へ向かわせるように、右手を上げて方向を指示し、本件梯団をして道路中央線に達する蛇行進をさせた。

(2) 大脇小隊長らは、前記第一鉄鋼ビル入口付近前路上で、本件梯団をようやく歩道際まで規制したところ、原告がまたもや右手を道路中央の方へ向け、本件梯団の先頭部に道路中央へ行けというような動作をしたので、同所は呉服橋交差点も近かつたことから、混乱が拡がるのを防ぐため、どうしても左側を行進させなければならないと考え、原告に一歩近づいて、「デモの頭を歩道の方へ向けさせろ。」と大きな声で言つたところ、原告は、右足の靴の爪先で一歩ぐらい前方にいた大脇小隊長の左大腿部前面付近(膝上約一〇センチメートル付近)をぽーんと蹴り、大脇小隊長を思わず「痛い。何をするんだ。この男を捕まえろ。」と叫ぶより早く、ガードレールを飛び越えて、本件梯団の進行方向の左斜め後方に概略一直線に逃げた。原告が大脇小隊長を蹴つたのは、前記第一鉄鋼ビル入口の向かつて右端前路上であり、原告が警察官に取り押さえられたのは、同入口の左端付近であつた。

(3) 大脇小隊長は、原告から蹴られた瞬間、ちかつとする痛みを感じたが、警備終了後の同日午後八時三〇分ころ、調布市石原にある第七機動隊の中隊幹部室に戻つてから患部を見たところ、一〇ないし一五センチメートル四方ぐらいの発赤があり、黒ずんで痛みも残つていたことから、三日間ぐらい湿布薬を塗布して自家治療したところ、痛みは一週間ぐらいでとれた。しかし、大脇小隊長は、機動隊員にとつてこの程度のけがは部隊活動に通常伴うものであるとして、病院で治療を受けたり、診断書の作成を求めることはしなかつた。

(以下「大脇証言」という。)

(二) 次に、《証拠略》によれば、第一小隊所属の矢ケ崎巡査は、刑事第一審において、同小隊所属の目黒巡査部長は、刑事第一審、第二次控訴審及び当裁判所において、それぞれ原告の前記(一)(2)の暴行を目撃した旨供述し(以下「矢ケ崎証言」、「目黒証言」という。)、《証拠略》によれば、同小隊所属の藤森巡査並びに青木隊長も、刑事第一審において、それぞれ右暴行の存在を推認するに足りる原告及び大脇小隊長の行動を目撃した旨供述している(以下「藤森証言」、「青木証言」という。)ことが認められる。

2  原告の各供述及びデモ隊員らの各証言の要旨

(一) これに対し、《証拠略》によれば、原告は、刑事第一審、第二次及び第二次控訴審並びに当裁判所において、大脇小隊長を足蹴りにしたことはない旨一貫して供述しているところ、その各供述の要旨は、次のとおりであることが認められる。

(1) 原告の所属する本件梯団は、機動隊が規制に入つてきた東京都八重洲北口付近からは、ジグザグデモや蛇行進を行わず、終始進行方向の左側第一車線を進行してきたが、その間、本件梯団の先頭部分右側でマイクコールをしていた原告に対し、白い指揮棒を持つた青木隊長は、「ハンドマイクをやめろ。やめないと公安条例違反で検挙する。」と言つて、ハンドマイクの使用自体を禁止する趣旨の警告をしつように行つた。

(2) 原告は、右警告に対し、「ハンドマイクを使うのが何で悪いんだ。」などと抗議したばかりでなく、故意にスピーカーを青木隊長の耳元に近づけてシュプレヒコールを繰り返したため、青木隊長から指揮棒を鼻面に突きつけられて厳しく警告されるに及び、これ以上マイクコールを継続すれば真実検挙されるかもしれないと考え、マイクを用いることをやめ、「マイクをやめろとはどういうことだ。」などと抗議しながら青木隊長から離れ、本件梯団の先頭部左側に移動した。

(3) そして、原告は、他のデモ隊員らとともに「デモをさせないつもりか。」「ハンドマイクをやつて何故悪い。」などと抗議を続け、約二〇ないし三〇メートル進行した付近で、再び「部落」とマイクコールを始めた途端、青木隊長が指揮棒を振つて「検挙」と号令をかけたので、逮捕されまいとしてとつさにガードレールを飛び越えて逃走した。

(以下「原告の供述」という。)

(二) そして、《証拠略》によれば、本件梯団の構成員であつた森田正実、岡田行雄及び吉田勉(以下それぞれ「森田」、「岡田」、「吉田」という。)は、刑事第一審において、原告の供述にそう各供述(以下「デモ隊員らの各証言」ともいう。)をしていることが認められる。

3  このように、警察官らの各証言と原告の供述及びデモ隊員らの各証言とは、直接の争点である本件暴行の存否の点ばかりでなく、本件梯団が前記国際観光会館前付近路上に至つてから原告が逮捕されるまでの間の経緯全般について著しく相違しているのであるが、以下(ことに(一)ないし(三)において)詳細に説示するとおり、前記警察官らの各証言は到底信用することができない。

(一) 本件逮捕の直前の蛇行進の有無について

(1) 前記警察官らは、一致して、本件梯団は、東京駅八重洲北口付近から第一鉄鋼ビル入口前付近路上に至るまでの間に道路中央線に達するまでの蛇行進を二回繰り返した旨証言している。

しかし、《証拠略》によれば、本件当日、違法な集団示威運動を含む違法行為の採証のため写真撮影に従事していた第七機動隊所属の五十嵐巡査は、刑事第一審において、「前同日午後四時二二分ころ、東京駅八重洲中央口付近で本件デモに対する警察官の規制の状況を撮影した(五十嵐写真23)後、いつたん呉服橋交差点の手前まで先行したが、約二分後の同四時二四分ころ、第二鉄鋼ビル前路上のタクシー乗り場付近まで戻つてきたところ、青木隊長から本件梯団のデモの状況を撮影するよう命じられ、同二五分ころ、同所付近でこれを撮影し(五十嵐写真24)、更に、本件梯団が警備部隊に突き当たる違法行為をより明確に写すことができる適当な撮影場所を選ぶため、本件梯団の状況を見ることなく、まつすぐ前方を向いたまま呉服橋交差点方面に先行し、振り返つてみると、第一鉄鋼ビル玄関入口前付近の原告に対する検挙活動が目に入つたので、同二七分ころ、これを撮影した(五十嵐写真25)。」旨証言していることが認められる(以下「五十嵐証言」という。)。

すなわち、五十嵐証言によれば、五十嵐が青木隊長から本件梯団の違法行為を撮影するよう指示されたのは、五十嵐写真24を撮影する直前であるというのであるが、もし青木証言にあるように、本件梯団が道路中央線を二、三メートル越える大きな蛇行進をしているときに五十嵐にその撮影を命じたものであり、また、前記警察官らが一致して証言するように、本件梯団が同写真24に写されている場面の前後において道路中央線に達する蛇行進をしていたのであれば、五十嵐は、青木隊長から右指示を受ける前、呉服橋交差点の方から逆戻りしてきたというのであるから、同写真24を撮影する前に行われたという本件梯団の蛇行進を目撃し、かつ、その任務にかんがみ、その場面を撮影しているはずであるのに、五十嵐は、右蛇行進を目撃したとの証言はしていないし、右蛇行進が行われた場面の撮影もしていない。

(2) また、五十嵐は、五十嵐写真24を撮影した後、本件梯団の全体像をとらえ、違法なデモの状況を撮影するため、適当な撮影場所を求めて先行したというのであるが、本件梯団は約二〇名から成る小規模のもので、その全体像をとらえて撮影するのはそれほど困難であるとは思われず、次の五十嵐写真25が撮影されるまでの約二分間、数十メートル(《証拠略》によれば、五十嵐写真24の撮影場面と同25の撮影場面との間に距離は約八〇メートル余)も先行しなければならない必要性があつたとは考え難いばかりか、前記警察官らの各証言によると、この間目前に本件梯団の違法行為が行われ、また更に行われようとしていたというのであるから、青木隊長から命じられた任務を全うするため、当然に、先行するに際し後方を振り返るなどして、時々刻々変化する本件梯団の位置状況を確認しつつ違法行為を的確にとらえて撮影しなければならなかつたはずであるのに、この間後方から来る本件梯団に注意を払わずその状況を見ないで、五十嵐写真24撮影後に行われたという本件梯団の道路中央線に達する蛇行進を撮影していないのは、どのように考えても不可解といわざるを得ない。

(3) そうすると、五十嵐写真24の撮影前後に、前記警察官らが証言するような本件梯団の蛇行進の写真が一枚も撮影されていないことは、そのような蛇行進が行われていなかつたためではないかとの合理的な疑いを生じさせるというにとどまらず、むしろ、そのような蛇行進が行われなかつたことによるものと認めるのが相当である。

(4) なお、五十嵐写真24に写し出されている本件梯団等の状況からすると、当時、本件梯団は、必ずしも平穏かつ整然とした行進をしていたものではなく、機動隊員の圧縮規制に対して反発ないしは突き当たつている状況が看取されるが、一方、本件梯団は片側四車線(《証拠略》)の左側第一車線内にあり、第二車線には本件梯団を規制することなくこれと一定距離を保つて歩行している警察官の姿も見受けられることなどからすれば、右反発等の状況のみから、本件梯団が現実に機動隊員の規制を排除して道路中央線に達する蛇行進を行つたものと結論づけることはできない。そして、大脇小隊長ら警察官が証言するように、右写真に写されている状況が、本件梯団がまさに蛇行進を開始しようとしているところであり、その直後に、現に道路中央線に達する蛇行進が行われたとすると、五十嵐がその状況を撮影しなかつたことに対する疑念は深まるものというべきである。

(二) 原告の逃走地点及び方向について

(1) 原告の逃走地点及び方向に関し、前記警察官らは、一様に、原告が大脇小隊長を蹴つたのは第一鉄鋼ビル入口の右端前付近路上であり、原告はそこからガードレールを飛び越えて、ほぼ一直線に本件梯団の進行方向とは逆に左斜め後方に逃走し、大脇小隊長、藤森及び矢ケ崎も直ちに原告とほぼ同一の経路を通り、同ビル入口前付近のガードレールを飛び越えて追跡し、同ビル入口の左端付近において原告を取り押さえた旨証言している。

これに対して、原告は、第一鉄鋼ビルの南端(東京駅寄り)付近の歩道上に設置されている配電盤ボックス付近のガードレールを飛び越え、本件梯団の進行方向と同じ前方に向かつて逃走し、途中追跡してきた警察官に腕をつかまれ、いつたん歩道上に座り込んだが、結局同ビル入口の左端付近まで連れていかれた旨供述しており(原告の供述)、右警察官らの各証言と原告の供述との間には、著しい差異が存するのである。

(2) ところで、他の警察官らが一致してガードレールを飛び越えて追跡したと証言しているのに対し、目黒は、刑事第一審において、ガードレールの切れ目を通つて追跡したように記憶している旨証言している。

そして、目黒のこの点に関する証言内容は、「私は、そこ(第一鉄鋼ビル玄関前付近のガードレール)を飛び越えないで、ガードレールの切れ目があるんですよ。その切れ目から行つたように覚えているんですね。」「私はね、覚えているのは、とにかく、被告人はここ(前同ガードレール)をまたいでひつくり返りそうになつたと、で、私は切れ目か何か、そこからおれは行つたように覚えているんだね。足短いから、おれは。」というように、具体性があり、実際の体験がなければ、わざわざそのような証言をする必要はないし、また、しなかつたであろうと考えられるものである。

(3) そして、《証拠略》によれば、第一鉄鋼ビル前面の歩道端には車道との境に沿つてガードレールが設置されており、同ビル正面入口前のガードレールは開閉式となつていて、日曜日は終日閉鎖されるところ、本件デモの当日は日曜日であり、同ガードレールは閉鎖されていたこと(野坂写真20)、同ガードレールから東京駅寄りに約二三ないし二八メートルの地点にはバス停留所があり、乗降口に対応する二箇所の部分にガードレールの切れ目が存在し、東京駅寄りの右切れ目から更に三・七三メートルの位置に配電盤が設置されていたことが認められるところ、目黒が原告の逃走経路とほぼ同じ経路を走り、しかもガードレールの切れ目を通つて追跡したとすると、目黒証言にいう切れ目とは、右バス停の所にあつた切れ目とみるほかない。

(4) そうすると、目黒のこの点に関する前記証言は、他の警察官らが証言するように、原告の逃走地点を第一鉄鋼ビル入口右端前付近とすることと矛盾する証拠であるというにとどまらず、むしろ、原告が供述するように、原告の逃走地点は前記配電盤の付近であると認定する有力な証拠になるものというべきである。

(5) さらに、《証拠略》によれば、本件デモの当日、これに参加した北村小夜(以下「北村」という。)は、本件梯団の前方をかなりの距離を置いて先行していた南部地区共闘会議の梯団と行動を共にし、同梯団の最後尾左側を進行していたところ、後方からデモ隊の一人が警察官に囲まれたまま激しい勢いで進んできたので、思わずデモ隊員を助けようとしてその方へ行き、騒ぎに巻き込まれたこと、その際の状況が写し出されている野坂写真18、19及び柴崎写真17には、北村も写つていることが認められる。

そこで、もし前記警察官らの各証言にあるように、本件暴行の現場が第一鉄鋼ビル入口の右端前付近路上であり、原告がそこからガードレールを飛び越えて、本件梯団の進行方向とは逆に左斜め後方に逃走したとするならば、本件梯団の前方を先行していた北村が、この騒ぎに巻き込まれる可能性も、右各写真に写される余地も全く存しないのであり、この事実は、前記警察官らの各証言の真実性を否定するばかりでなく、この点に関する原告の供述の真実性を裏付けるものというべきである。

(6) 以上のように、原告の逃走地点及び方向に関する前記警察官らの各証言は、その内容が客観的事実に反しているのに不思議に一致しているという奇妙な様相を呈しているのであり、そのほか、藤森、矢ケ崎、目黒及び大脇小隊長は、捜査段階においては、本件犯行の現場及び原告の逃走地点を、第一鉄鋼ビル入口の右端前付近路上よりも更に約四〇メートル程呉服橋交差点に寄つた同ビル北端前付近としていたことにかんがみると、前記警察官らの各証言の一致は、果たして各警察官らの記憶が一致している結果によるものであるのか甚だ疑問であるといわざるを得ない。

(三) 大脇小隊長の受傷の有無について

(1) 大脇小隊長は、前記のとおり、「原告は、右足の靴の爪先で一歩ぐらい前方にいた大脇小隊長の左大腿部前面付近(膝上約一〇センチメートル付近)をぽーんと蹴つた。本件デモの警備終了後の同日午後八時三〇分ころ、第七機動隊の中隊幹部室に戻つてから患部を見たところ、一〇ないし一五センチメートル四方ぐらいの発赤があり、黒ずんで痛みも残つていたことから、三日間ぐらい湿布薬を塗布して自家治療したところ、痛みは一週間ぐらいでとれた。」旨証言している。

(2) しかし、大脇小隊長作成の昭和五一年五月二四日付け被害届及び同人の同日付け司法警察員に対する供述調書には、受傷の事実は全く記載されていないし、一方、同人の同年五月二八日付け検察官に対する供述調書第九項には、「この指揮者(原告)から蹴飛ばされたところは翌朝まで痛みが続きました。」との記載があり、事件から五日後の時点における右供述の趣旨は、事件の翌朝を過ぎてからは痛みがなくなつたことを意味するものと解されるのであり、少なくとも右供述は、同人の前記証言と明らかに矛盾するものといわなければならない。

(3) 大脇小隊長の前記証言に係る三日間の湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間続く程度の傷害は、本件のような事案において、その原因となつた暴行を公務執行妨害罪として立件する以上、傷害罪としても併せて立件することが特異な扱いとされない程度のものであると考えられるのみならず、仮に立件しないとしても、受傷の事実を立証する証拠は公務執行妨害罪の重要な客観的証拠となり得るのであるから、いかに複数の警察官の目撃がある現行犯逮捕の事案であるとはいえ、専門家である医師に診断書の作成交付を求め、あるいは患部の写真撮影をするなどの証拠保全をしておくのが、警察官としてとるべき当然の処置であつたろうと考えられる(まして、原告は捜査段階において本件暴行を認めていたわけではないから、なおさらである。)にもかかわらず、大脇小隊長が医師の診断を受けず、かつ、患部の写真撮影などをしなかつたことは、同人自身が認めるところである。

この点に関し、大脇小隊長は、刑事第一審において、医師の診断を受けなかつたことにつき、「機動隊は、警備出動のたびに多数の隊員らが発赤、かすり傷程度の傷害を負つており、これらの隊員がその都度休暇をとり医師の診断を受けていたのでは、警備出動にも支障を来すところから、軽微な傷害の場合には、ほとんどの隊員が自分で手当てをして済ませていたもので、大脇としても、小隊長たる職責にかんがみ、この程度の傷害で警備出動に支障が生じてはならないとの配慮から、あえて医師の診断を求めることなく、職務を終わり帰宅した後自家治療した。」という趣旨の証言をしているが、事件として立件されていない一般的な受傷については、右のような説明が成り立ち得るとしても、本件のように、被疑者を逮捕した事件にかかわる受傷については、右の説明は納得できるものであるとはいえない。

(4) 目黒は、刑事第二次控訴審及び当裁判所において、「本件当日、警備を終えて帰隊し、中隊幹部室において出動服を着替えている際、大脇小隊長が杉森中隊長と何か話をしながら、ズボンをまくつたか下ろしたときに、左の膝の上というか、大腿部というか、その付近が握りこぶしの半分くらい赤くなつているのを見た。」旨証言している。

しかし、目黒の刑事第二次控訴審における右証言には、あいまいな表現が多いし、また、右証言に係る事実は、真実それが存在したとすれば、本件暴行による大脇小隊長の受傷の事実を裏付ける重要な間接事実になり得るものであるのに、目黒の昭和五一年五月二八日付け検察官に対する供述調書には何ら記載されていないばかりか、目黒の刑事第一審における証人尋問においても全く証言されていない。これに加えて、本件デモの当日、第一中隊の中隊長として警備に当たつた杉森侑は、刑事第一次控訴審において、当日、帰隊後、大脇小隊長から傷を見せられた記憶はない旨証言しているのであるから、目黒の右証言をもつて、大脇小隊長の前記受傷に関する証言の信用性を補強するものとは、到底いうことができない。

(5) 以上の諸点にかんがみ、大脇小隊長の前記受傷に関する証言は到底信用できない。

(四) 警告の主体について

(1) 大脇小隊長は、前記のとおり、「本件梯団の先頭部の前方おおむね左側に位置して本件梯団を指揮していた原告に対し、『ジグザグ行進はするな。いつまでもそういう行進をしていると公安条例違反で検挙する。道路の左端に沿つた正しい行進に移れ。』と二〇回ぐらい警告した。この間、青木隊長も第二鉄鋼ビル前のタクシー乗り場付近において同趣旨の警告をしていた。」旨証言している。

(2) しかし、本件梯団が前記国際観光会館前付近路上に至つてから、青木隊長が、本件梯団の先頭部列外の右側でハンドマイクを用いてシュプレヒコールをしていた原告に対し、指揮棒を原告の鼻先に突きつけて警告を発していたこと、及び原告は、青木隊長の警告が余りに厳しかつたため、前記第二鉄鋼ビル前路上のタクシー乗り場の直前付近で、本件梯団の先頭部列外の左側に移つたことについては、青木証言と原告の供述及び森田、岡田、吉田の各証言とは、おおむね一致しているのである。そして、青木は、第七機動隊の隊長として、自ら本件梯団を規制すべく陣頭指揮に当たつていたものであり、また、五十嵐写真24には、原告及び旗持ちの森田が青木隊長を指差して激しく抗議している状況が写し出されていることなどからすれば、原告に対する警告の主体は青木隊長であると認めるのが相当であり、あたかも警告の主役が大脇小隊長であるかのようにいう同人の前記証言は、信用することができない。

4  以上、詳細に説示したとおり、前記警察官らの各証言にいう、本件暴行がされる直前の本件梯団による道路中央線に達するまでの蛇行進は、行われていなかつたものと認められること、原告の逃走地点及び方向に関する前記警察官らの各証言が、その内容が客観的事実に反しているのに不思議に一致していること、大脇小隊長の前記受傷に関する証言が、同人の捜査段階における供述と明らかに矛盾する上、証拠保全の処置をとらなかつた点において、どのように考えても不合理であること、原告に対する警告の主体は、大脇小隊長ではなく、青木隊長であると認められることなどに照らせば、本件暴行及び傷害に関する前記警察官らの各証言は、到底信用できないといわなければならない。

5  かえつて、以上に説示したところと、《証拠略》を総合すれば、本件梯団が前記国際観光会館前付近路上に至つてから原告が逃走するまでの経緯は、次のとおりであつたことが認められる。

(一) 青木隊長は、前記国際観光会館前付近において、本件梯団を進行方向の左側第一車線に圧縮規制しようとして、本件梯団の先頭部の列外右側でハンドマイクを用いてシュプレヒコールをしていた原告に対し、当初は「ジグザグデモをやめなさい。」「マイクであおるのもやめなさい。」などと警告していたが、原告が右警告を無視し、依然としてシュプレヒコールを繰り返しながら、小刻みの駆け足をしてジグザグデモを続けようとしたため、青木隊長は、次第に語気を強め、「マイクはやめろ。」「やめなければ検挙する。」などと警告したところ、原告は、青木隊長の右警告をハンドマイクの使用自体を禁止する趣旨と解し、「ハンドマイクを使うのが何で悪いんだ。」などと抗議しながら、故意に青木隊長の耳元にスピーカーを近づけてシュプレヒコールを行つたため、ついには青木隊長から指揮棒を鼻先に突きつけられ、顔色まで変え検挙をも辞さない態度で警告されるに及び、もはやこれ以上マイクコールを継続する場合には検挙されるかもしれないと考えて、マイクコールをやめ、前記タクシー乗り場の直前で、青木隊長に対し、「マイクをやめろとはどういうことだ。」などと抗議しながら、本件梯団の先頭部の列外左側に移動し、他のデモ隊員らとともに、「デモをさせないつもりか。」などと抗議を続けて進行した。

(二) そして、前記タクシー乗り場の直前から約五八メートル先(呉服橋交差点寄り)にある前記配電盤ボックスの数メートル手前で、それまでハンドマイクの使用を控えていた原告が、青木隊長を見ながら「部落」とマイクコールを始めた途端、青木隊長が指揮棒を振つて「検挙」と号令をかけたので、原告は、逮捕を免れようとして、とつさに付近のガードレールを飛び越えて逃走した。

以上のとおり認めることができ、結局、原告は、本件公訴事実記載の日時・場所において、大脇小隊長に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴りにする暴行を加えたことはないと認められる。

被告東京都は、本件公訴事実記載のとおり、原告が警備活動に従事中の大脇小隊長の左大腿部を蹴り上げ、公務の執行を妨害したことは明らかである旨主張するが、以上の次第で、右主張は到底採用することができない。

なお、《証拠略》によれば、前記現行犯逮捕の被疑事実のうち後段記載の、原告が、原告を検挙しようとした第一小隊に対し、本件梯団及び別のデモ隊員らとともに、竹竿で突きかかり、殴る蹴るの暴行を加えた事実はないと認められる。

五  以上のとおり、他に特段の事情の認められない本件において、原告が大脇小隊長に対し右足でその左大腿部を足蹴りにした事実はないのに、警察官らが原告を現行犯逮捕し、逮捕の現場で差押え、捜索を行つたこと(藤森及び矢ケ崎が、逮捕の現場で原告の所持していたゼッケン一枚、鉢巻き一本及びビラ三枚を捜索差押えしたことは、《証拠略》により明らかである。)は、原告に犯罪の嫌疑がないのに、警察官らにおいてこれを知りつつあえて行つたものというべきであり、国家賠償法上違法な行為であるといわなければならない。

第三  警察官の偽証行為について

本件暴行及び傷害に関する前記警察官らの各証言は、以上のように虚偽であると認められるところ、原告は、警察官らが刑事公判廷において証人として行つた偽証行為を警察官らの違法な公権力の行使であるとして、被告東京都に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償の請求をしている。

しかし、前記警察官らの各証言は、本件刑事事件の公訴の維持・追行のために不可欠のものであつたということができるが、警察官の一般的職務権限に基づいて行われたものというよりは、我が国の裁判権に服する者が等しく負つている証言義務の履行として行われたものとみるのが相当であつて、その証言内容が過去に警察官としての職務を執行するに際し知り得た事項に関する場合であつても、右事項につき証言することは、警察官の職務行為ということはできず、同条一項にいう「公権力の行使」には当たらないと解するのが相当である。

したがつて、前記警察官らが個人として民法七〇九条の損害賠償義務を負うことがあるかどうかはともかく、被告東京都が原告に対し同条一項所定の責任を負うことはないというべきである。

第四  検察官の公訴提起及びその維持・追行の違法性について

一  刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起・追行が違法となるということはなく、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるい公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当である(最高裁昭和五三年一〇月二〇日判決・民集三二巻七号一三六七頁)。

二  これを本件についてみるに、甲野検事が、昭和五一年六月八日、「原告は、同年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者・学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止・検挙する任務に従事中の大脇小隊長に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行(本件暴行)を加え、もつて同警察官の右職務の執行を妨害をしたものである。」という公訴事実で原告を起訴したことは、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右起訴時に、甲野検事の手元には、本件公訴事実記載の原告の本件暴行を認定し得る直接の資料として、矢ケ崎及び藤森作成の現行犯人逮捕手続書、大脇小隊長作成の昭和五一年五月二四日付け被害届、同人の同日付け司法警察員に対する供述調書、目黒作成の同日付け現認報告書、矢ケ崎及び藤森の同月二七日付け検察官に対する各供述調書、目黒及び大脇小隊長の同月二八日付け検察官に対する各供述調書等が存したものと認められる。

そして、右各警察官の報告・供述内容は、具体的であり、若干の差異を除き、相互に矛盾・抵触する部分はない上、同じく甲野検事の手持ち資料であつた五十嵐作成の写真撮影報告書中の五十嵐写真22には、本件暴行があつたとされる約四分前の昭和五一年五月二三日午後四時二一分ころ、本件梯団が東京駅八重洲中央口交差点付近において、蛇行進を行つている状況が写し出され、また、五十嵐写真24には、前記のとおり、本件暴行があつたとされる同日午後四時二五分ころ、原告及び旗持ちの森田が青木隊長を指差して激しく抗議し、大脇小隊長が原告の方に向かつて近づきつつあり、本件梯団が機動隊員に反発ないしは突き当たつている状況が写し出されているのであるから、これらの証拠資料によれば、甲野検事において右起訴時に将来有罪判決を期待し得る合理的根拠が存在したものということができる。

三  ところで、原告は、この点に関し、甲野検事は、本件起訴に当たつて、(一)五十嵐作成の写真撮影報告書を通常要求される慎重さをもつて検討すれば、前記警察官らの各供述が著しい誇張を含み、事実に反するとの疑いをもち、ひいては本件暴行の動機に合理的な疑問を抱いたはずである、(二)右写真撮影報告書によれば、原告に対する逮捕行為開始地点と前記警察官らの各供述の一致した相違に気づくべきであつた、(三)大脇小隊長に医師への受診を指示したり、受傷部位の写真撮影を指示すべきであるのにこれをせず、勾留請求では漫然と共謀に基づく公務執行妨害を被疑罪名として逮捕理由の真偽の吟味を怠るなど、客観的証拠を収集する努力を怠つた、(四)原告の主張等を吟味する努力を怠つた旨を主張する。

しかし、(一)五十嵐写真22及び24には、前記のような状況が写し出されているのであり、これらの本件暴行があつたとされる直前の状況と前記警察官らの各報告・供述内容とは、かなり詳細に検討しなければ気づき得ないような矛盾点があることはともかく、大筋において合致しているのであるから、甲野検事において前記警察官らの各報告・供述が信用し得ると判断したとしても、あながち不合理であるとはいい難い。

また、(二)本件暴行があつたとされる寸前の五十嵐写真24をしさいに検討すると、その右下の部分に、「タクシーのりば」の「ー」と「ば」の字の一部が写し出されていることが判明し、ひいては前記警察官らの各報告・供述に係る本件暴行の場所と右写真に写し出されている場所とがかなり隔たつていることが判明するが、右の相違は、先に述べたとおり、かなり詳細に検討しなければ気づき得ないものというべく、甲野検事が本件起訴に当たつてこれを見過ごしたとしても、やむを得ないものといえないではない。

さらに、(三)大脇小隊長に対する医師への受診等の指示については、前記のとおり、大脇小隊長作成の昭和五一年五月二四日付け被害届及び同人の同日付け司法警察員に対する供述調書には、受傷の事実は全く記載されておらず、大脇小隊長は、事件から五日後の同月二八日、検察官に対し、初めて、「この指揮者(原告)から蹴飛ばされたところは翌朝まで痛みが続きました。」と供述しているのであつて、右供述の趣旨は、事件の翌朝(同月二四日)を過ぎてからは痛みがなくなつたことを意味するものと解されるから、検察官が本件勾留請求(同月二五日)の段階を含む起訴前の時点で、大脇小隊長に対し医師への受診等を指示しなかつたことは、検察官として当然に収集すべき客観的証拠の収集を怠つたものということはできない。なお、検察官が本件勾留請求に当たり、共謀に基づく公務執行妨害を被疑罪名としたのは、矢ケ崎及び藤森作成の前記現行犯人逮捕手続書及び目黒作成の前記現認報告書中に、前認定のとおり、「原告がいきなり右足で大脇小隊長の左足大腿部付近を蹴り上げたため、公務執行妨害の現行犯人と認め、逮捕しようとしたところ、原告を含む本件梯団三〇名くらいは、ガードレールを乗り越え歩道上に逃げたので、第一小隊が前後から挟むようにして検挙規制活動に移つたところ、本件梯団及び別のデモ隊の旗持ち四、五名が応援に駆けつけ、一緒になつて第一小隊に対し竹竿で突きかかり、殴る蹴るの暴行を加えてき、同集団の前部中央で原告が同行為を加えているのを現認した。」旨の各記載部分が存することによるものと推認され、これらの行為を一連のものとして、現場共謀による公務執行妨害ととらえたものと考えられるから、これをもつて、本件逮捕理由の真偽の吟味を怠つたものとすることはできない。

また、(四)原告の主張等の吟味については、原告は、警察官及び検察官による取調べに対して黙秘を続けたのであり、また、本件勾留理由開示の公判廷においても、本件暴行に関しては、原告の弁護人から、「原告は、警察官が旗を取り上げようとして引つ張つたのを引き返しただけで逮捕されたもので、全くのでつち上げである。」旨の意見が陳述され、原告から、「ハンドマイクを使用し続けた私を公務執行妨害というでたらめな罪名で逮捕し、今日まで留置場に拘禁し続けてきたものである。」旨の意見が陳述されている程度であつて、後の刑事裁判におけるような詳細な事実経過は述べられていないから、甲野検事が本件起訴に当たり、原告の主張等を吟味する努力を怠つたものということもできない。

四  以上によれば、本件公訴の提起は違法でないというべきであり、公訴の提起が違法でないならば、原則としてその追行も違法でないと解すべきである(最高裁平成元年六月二九日判決・民集四三巻六号六六四頁)。もつとも、公訴の追行過程において、その維持が妥当でないことが明白な証拠が現れた場合には、それにもかかわらず、あえて公訴を維持・追行することは違法であると解すべきである。

原告は、検察官において、第一審の審理により、原告がでつち上げ逮捕、起訴されていることが明白となつたのに、故意・過失によつて、公訴を維持・追行した旨を主張する。

たしかに、証人五十嵐の証言によつて同人の写真撮影状況が明らかになり、前記警察官らの捜査段階における本件暴行の場所に関する各報告・供述が、公判廷において一致して変更され(捜査段階では、若干の差異はともかく、本件暴行のあつた場所を第一鉄鋼ビル内の三菱銀行前路上としていたのに対し、公判廷では同ビルの入口前路上と一致して変更している。前掲警察官らの各報告・供述及び証言)、弁護人請求に係る現場写真の取調べや司法警察員による実況見分が行われ、これらと五十嵐写真24を対比することによつて、右警察官らの各証言に矛盾があることがうかがわれ、さらに青木隊長は、前記のとおり、原告に対する警告状況等に関し、原告の供述と相当部分において合致する証言をしているのである。

しかし、本件は、被害者、目撃者である警察官らの各証言の信用性がまさに問題となる事案であり、前記警察官らの各証言の内容は、本件暴行自体については明確であつて、証言の信用性は証拠の価値判断の問題であり、証拠の評価には個人差があり、極めて微妙な判断を含むから、以上のような審理経過を考慮しても、本件公訴の追行過程において、その維持が妥当でないことが明白な証拠が現れたものとまでいうことはできず、本件公訴の維持・追行は違法でないというべきである。

第五  検察官の控訴申立て及びその維持・追行の違法性について

一  検察官の控訴の申立て及び追行も、公訴の追行の一環として行われるものであるから、その違法性の判断基準は、第一審判決の存在という新たな要素が加わるほかは、公訴の提起・追行について先に述べたのと基本的に同一である。すなわち、第一審が無罪判決の場合には、検察官の控訴申立て・追行が、第一審が無罪の理由として説示するところを考慮しても、なお右申立て時あるいは追行時に将来第一審の無罪判決を覆し、有罪判決を期待し得る合理的根拠を有するか否かによつて、違法であるかないかが決せられるのである。

二  原告は、検察官は、第一審判決が警察官証言の信用性をほとんど否定し、原告に無罪の言渡しをしたのであるから、証拠と経験則によるならば、有罪判決を得る見込みがなかつたのに、控訴の申立てをし、控訴趣意書も、検察官としての正当な職務遂行義務に反する第一審の公判経過に関する虚偽の主張を含み(第一審証人矢ケ崎の図面作成経過及び供述の訂正経過)、また、主張が変転する(当初は刑事訴訟法三八二条の二による控訴趣意であるとしながら、後に同法三九三条一項による主張であると変更)など、一見して理由がないことが明白であつたと主張する。

たしかに、第一審は、被害者、目撃者である前記警察官らの各証言の信用性を、証拠により認められる客観的事実などと対比し、きめ細かに検討した上で、その信用性を否定し、無罪の判決を言い渡したものであり、その理由とするところには十分な説得力がある。

しかし、先に説示したように、前記警察官らの第一審における各証言並びに大脇小隊長の第一次控訴審における証言の内容は、本件暴行自体については明確であつて、右各証言の信用性は証拠の価値判断の問題であり、証拠の評価には個人差があり、極めて微妙な判断を含むもので、控訴審における判断がすべて第一審の判断と同一であるとは限らないのであるから、第一審判決が無罪の理由として説示するところを考慮しても、なお検察官において本件控訴の申立て時あるいは追行時に将来右無罪判決を覆し、有罪判決を期待し得る合理的根拠が存在したものといえないではない。現に、その理由とするところの是非はともかく、第一次控訴審は、第一審の無罪判決を破棄し、有罪の判決を言い渡しているのである。

また、本件控訴趣意書中には、第一審証人矢ケ崎の図面作成経過及び供述の訂正経過につき、同証人は、第一審公判廷において、同証人尋問調書末尾添付の図面に、五十嵐写真24の位置を、当初は正しく第二鉄鋼ビル内の日本航空の前付近に〈24〉と記載しながら、立会検察官から念を押された際に勘違いをして右記載を消しゴムで消去し、誤つて第一鉄鋼ビル前に〈24〉と書き直してしまつたものである旨の記載部分があること、第一次控訴審の第一回公判において、裁判長から検察官に対し、検察官から証拠調べ請求のあつた各証拠の標目につき事実取調べの必要性並びに刑事訴訟法三八二条の二第三項の疎明をされたい旨の求釈明がされたことが明らかである。

しかしながら、検察官が本件控訴趣意書において、何故第一審証人矢ケ崎の図面作成経過等に関し、右のような主張をしたのかは必ずしも明らかでないが、《証拠略》によれば、同証人尋問調書末尾添付の図面には、検察官の右指摘に係る位置に消しゴムで消去されたと見られる〈24〉の痕跡が残つていることが認められるから、右主張があながち虚偽であるとは断定できないし、また、《証拠略》によれば、検察官は、本件控訴趣意書において、第一審における前記警察官らの各証言は極めて信用性が高いにもかかわらず、原判決はその価値判断を誤つて右各証言を全面的に排斥した旨を主張し、主として原判決の事実誤認を主張しているものと認められるから、原告の前記主張は採用することができない。

以上によれば、検察官の本件控訴の申立て及びその維持・追行をもつて違法であるとすることはできない。

三  差戻し後の第二次控訴審においては、検察官は、最高裁判所の本件破棄差戻し判決に基づき、同判決がさらに審理を尽くすよう指摘した事項について、主張・立証すべく控訴を維持・追行したものであり、右控訴の維持・追行をもつて違法ということはできない。

第六  第一次控訴審裁判官の職務行為の違法性について

一  裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生じるものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である(最高裁昭和五七年三月一二日判決・民集三六巻三号三二九頁)。そして、右の「特別の事情」には、裁判官のした事実認定、法令の解釈適用が論理法則・採証法則・経験則に著しく違背し、裁判官に要求される良識を疑われるような非常識な過誤を犯したことが当該裁判の段階において明白である場合を含むと解すべきである。

二  これを本件についてみるに、第一次控訴審裁判官のした判決は、五十嵐作成の写真撮影報告書中に、警察官証人らの述べる道路中央線に達する蛇行進の状況を撮影した写真が存在しないことが不自然でないとした点、原告の逃走の地点及び方向は、大脇小隊長らの証言するとおり認定すべきであるとし、目黒の「ガードレールの切れ目から行つたように覚えている」旨の証言について、目黒は、たまたま少なくとも同人が通れる程度に開かれていた可動式ガードレールを通り、若しくは自らこれを開閉して通り抜けたものと解されるとした点、本件暴行の態様に関する大脇小隊長らの証言によれば、同人が証言するような三日間の湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間続く程度の傷害が生じることに何ら不自然な点はないし、医師の診察治療を求めなかつた理由についての大脇小隊長の説明にも、少しも不自然、不合理な点がなく、十分に首肯できるとした点など、最高裁の本件破棄差戻し判決が指摘するように、十分な証拠上の根拠を欠如する判断、証拠の正当な評価に基づかない判断、あるいは経験則に反する判断を含むものである。

三  しかし、既に繰り返し述べたとおり、五十嵐写真24には、本件暴行があつたとされる昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、原告及び旗持ちの森田が青木隊長を指差して激しく抗議し、大脇小隊長が原告の方に向かつて近づきつつあり、本件梯団が機動隊員に反発ないしは突き当たつている状況が写し出されているのであり、前記警察官らの第一審における各証言及び大脇小隊長の第一次控訴審における証言の内容は、本件暴行自体については明確であつて、相互に矛盾・抵触する部分はない。そして、第一次控訴審判決は、その理由説示に照らすと、これらの諸事情や五十嵐写真18ないし23に現れている東京駅八重洲口付近における本件デモの一般的状況を重視し、第一審判決が無罪の理由とするところを逐一詳細に検討した上、前記警察官らの各証言はその大筋において十分信用に値するものと判断し、第一審判決を破棄して有罪の判決をしたものである。

このように、同じ警察官らの各証言でありながら、第一審と第一次控訴審とは、それぞれ詳細な検討をした上で、その信用性の判断を全く異にし、相反する結論を導いたのであり、それは、取りも直さず、右警察官らの各証言の評価が極めて微妙かつ困難な判断を含むことを示すものにほかならない。

四  そうすると、第一次控訴審判決は、十分な証拠上の根拠を欠如する判断、証拠の正当な評価に基づかない判断、あるいは経験則に反する判断を含むものではあるが、同控訴審裁判官のした事実認定が論理法則・採証法則・経験則に著しく違背し、裁判官に要求される良識を疑われるような非常識な過誤を犯したことが明白であるとまではいうことができず、第一次控訴審裁判官のした裁判をもつて違法とすることはできない。

第七  原告の損害について

一  被告東京都は、本件逮捕と勾留及び公訴提起に基づく損害との間には相当因果関係がないと主張する。

しかし、本件逮捕がなければ、それに続く勾留や起訴がなかつたことは明らかであり、本件勾留及び起訴により原告が被つた損害は、本件逮捕によつて通常生ずべき損害というべきである。

二  そこで、原告が本件逮捕、勾留及び起訴によつて被つた損害の額について検討する。

1  起訴休職処分による休職期間の損害

合計三〇九万〇一五七円

(一) 請求原因3の(一)の事実中、原告が昭和五一年五月二三日に逮捕され、同年六月八日に起訴され、同月一八日に起訴休職処分を受けたこと及び昭和五三年五月一六日に第一審の無罪判決を受け、同月二〇日に原職復帰したことは当事者間に争いがなく、右原職復帰の日以降の損害がすでにてん補されていることは原告が自認するところである。

(二) 右(一)の事実と、《証拠略》によれば、請求原因3の(一)の(1)アないしオの事実(給与の損害合計一一九万四一六五円。ただし、本件起訴が違法であるとの点を除く。)が認められる。

(三) 右(一)、(二)の事実と、《証拠略》によれば、同(2)アないしクの事実(一時金の損害合計一二三万九一〇七円。ただし、本件起訴が違法であるとの点を除く。)が認められる。

(四) 《証拠略》によれば、同(3)(作業給の損害合計四八万円)、(4)(代給の損害合計一七万六八八五円。ただし、本件起訴が違法であるとの点を除く。)の事実が認められる。

2  刑事裁判の訴訟費用 合計二一万一〇七七円

《証拠略》によれば、請求原因3の(二)の記録複写費用等の支払の事実(ただし、別表の1977年10月25日の「単価×枚×部数」欄の「20×10×17」を「20×10×7」と、1977年11月7日の第9回公判調書コピー代の「単価×枚×部数」欄の「20×29×7」を「20×27×7」と、1979年4月19日の控訴第1回公判調書写代(司法協会)の「金額」欄の「250」を「225」とそれぞれ訂正する。)が認められる。

そうすると、別表の記録複写費用等の合計は、一〇〇万八四八〇円となり、これから原告の自認している受領額七九万七四〇三円を控除した二一万一〇七七円が原告の記録複写費用等の損害となる。

3  慰謝料 一五〇万円

先に認定説示したとおり、原告は、本件現行犯逮捕の理由とされた公務執行妨害を行つていないにもかかわらず、これを犯したとして違法に現行犯逮捕され、逮捕の現場で捜索差押えを受けた後、勾留、起訴されたものであり、その他、原告が、本件逮捕から一週間後の昭和五一年五月三〇日に結婚式を挙げる予定でいたところ、本件逮捕によりこれを延期せざるを得なかつたことなど諸般の事情を考慮すると、原告が本件違法逮捕及び捜索差押えなどにより被つた精神的損害は、金一五〇万円をもつて相当と認める。

4  損害のてん補 二〇万一五〇〇円

原告は、被告国の主張4記載の、原告が日当合計三万六五〇〇円及び未決の抑留・拘禁による補償合計一六万五〇〇〇円の各交付を受けた事実を明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。そして、右受領金を前記休職期間の損害から控除することとする。

5  本訴の弁護士費用 四六万円

本件違法逮捕と相当因果関係のある弁護士費用は、以上の損害(合計四五九万九七三四円)の約一〇パーセントに当たる四六万円が相当である。

第八  結論

以上の次第で、原告の被告東京都に対する請求は、五〇五万九七三四円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五五年七月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条ただし書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、仮執行の免脱宣言につき同条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋本和夫 裁判官 田中俊次 裁判官 佐藤哲治)

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